ある地方公務員のうつ(鬱)ログ

うつ病になった某市役所職員の療養生活日記

16年前

 今から16年前の2005年(平成17年)。この頃は、平成の大合併ということで、国の号令の下、全国で多くの市町村合併が行われた。

 私たちの市も周辺町村と2005年4月1日に合併したのだけれど、この合併前後の3月~5月の3か月はとにかく忙しかった。22年間の市役所生活の中でも一番大変だった“地獄の3か月”だった。

 

 その当時、私は市の出納を担当するA課という部署にいた。このA課は市役所に入って最初に配属された部署で、市役所職員となって4~5年目、26~27歳とまだ若かった。

 市町村合併に向け、その2~3年前から準備していたのだけれど、いよいよ大詰めというところで、震度6強という非常に大きな地震に襲われてしまった。2004年(平成26年)の秋だった。

 

 ちなみに、今月上旬には震度4以上の大きな地震が全国で頻発したけれど、ちょうどこの時期にTBSで放送されていたドラマ「日本沈没」のようなことが実際に起きてしまうのではないかという不安を感じたのは私だけではないだろう。

 

 話は2004年の秋に戻る。その日は土曜日だった。大きな揺れが襲ったのは夕方で、そのとき私は自宅の自室でテレビを見ていた。

 ふと、遠くの方から地鳴りのような音が近づいてくるなと思った瞬間、急にテレビや照明が消え、それと同時にそれまで経験したことのない非常に大きな揺れに襲われた。その揺れが収まるまで、私は床に這いつくばって、このまま家がつぶれてしまうのではないかという恐怖に怯えていた。

 幸い我が家はつぶれることはなかったけれど、水回りがやられてしまい、その復旧までには1週間ほどかかったと思う。

 

 大きな揺れは続けざまに4回ほど襲ってきた。ようやくその大きな揺れが収まってから、とりあえず市役所へ行くことにした。

 停電で街灯や家の明かりが消えた真っ暗な道を、地震でひび割れたところがないか目を凝らして慎重に運転しながら市役所へ向かった。

 やっとのことで着いた市役所にはすでに多くの職員が集まっており、各地に開設した避難所へ各人が割り当てられ、すぐに現地へ向かうことになった。

 私は母校の中学校に割り当てられ、ほかの職員とともに、その日は寒空の下、毛布1枚で凍えながら、引っ切りなしにやって来る余震に怯えながら一夜を過ごした。

 

 そのあとは震災対応がメインになって、それと並行して通常業務を何とかこなすだけで精一杯だった。市町村合併の準備どころではなかった。

 8時半~16時半は市役所で通常業務を行って、そのあと17時~24時は避難所の当番をこなして、仕事から解放されるのはようやく24時になってからというような生活だった。そんな生活が1か月近く続いた。