ある地方公務員のうつ(鬱)ログ

うつ病になった某市役所職員の療養生活日記

最後のとどめ

 業務が一区切りを迎えたことで、E課は規模を縮小することになった。これに伴い、私は11月からD課に戻ることになった。

 個人的には、E課の規模を縮小するには早すぎると思ったし、用が済んだらお払い箱にされたように感じて、受け入れがたかった。

 限られた人員で効率よく事務を回すためには仕方のないことなのかもしれないけれど、切り捨てられたようで、使い捨てられたようで嫌だった。

 

 5月をピークに仕事の負担は徐々に減っていき、9月からはそれまでたまっていた代休を消化できるようになっていた。

 身体への負担やストレスは減っていたはずだが、それがかえって悪い方向に働いてしまったのかもしれない。忙しいときには余計なことを考える暇もないので、一心不乱に仕事のことだけを考えていた。

 しかし、余裕ができたことで、目の前の仕事以外のことも考えることが増えて……今後に絶望したのかもしれない。

 

 今回のうつは前回よりも深刻なのかもしれない。

 ひょっとしたら、前回のうつは完全には治っていなくて、ずっと潜伏していたのかもしれない。

 うつが発症した状態で、今まで感じていた職場に対する疑問や不満について改めてじっくりと考える時間ができたことによって、今後に絶望したのだろう。

 上に振り回され、それでも必死に一生懸命がんばってきた。心身はだいぶすり減ってしまった。もうこれ以上耐えられないと、心が折れてしまったのだろう。

 

 D課に戻れば、冬のイベントに向けた準備が待っている。また残業や休日勤務が待っている。

 残りの市役所生活もこれまでの繰り返しなのだろう。何を目標に今までがんばってきたのだろう。何が目指すべきゴールなのだろう。もうやる気が起きない。これ以上がんばれない……。

 

 コップいっぱいに水が満たされた状態がうつだとすると、水がこぼれてしまわないように、抗うつ薬を飲むことによって水を少しでも減らそうとしたり、栄養ドリンクやエナジードリンクサプリメントなどにも頼ることによって表面張力で踏ん張ったりもしたが、そういった足掻きの甲斐もなく、ついに限界を迎え、コップから水がこぼれ出てしまったのだろう。

 

 10月下旬になると、朝起きれない日が増えてきた。身体が仕事することを拒否するかのように。

 それでも療養休暇を取ることには抵抗があった。負けを認めるようで嫌だった。でも、身体が言うことを聞かなかった。

 妻の説得もあり、10月いっぱいは有休を取り、11月からは療養休暇を取ることとなった。